着物大好き!アラ還ひろよの普段着着物生活

昔ながらの普段着着物が好き。おばあちゃん達が着ていたようなこなれた着こなしが目標。お金をかけないでファストファッションみたいに着物を楽しんでるアラ還。兵庫県伊丹市在住。

植松務さんの12/26Facebook記事

すごくいいこと書いてあるのでシェアします。
 
僕の会社には、部と課と役職がありません。
なぜなら、命令をする者も、命令を聞く者も、危険だと判断したからです。

命令は、決まり切ったことや、想定の範囲内のことをやるときには有効です。
しかし、柔軟性に欠けます。

それは、たとえるなら、
ゲームをやりこむと、体や指ががキーの位置などをおぼえます。
すると、考えなくても、反射的にキーを操作できるようになり、スコアが向上します。
おそらく、行動は、繰り返しの練習によって、
「思考」ではなく「脊椎反射」にまでもっていくと、
処理速度が速くなるのだと思います。
しかし、ちがうゲームをやったら、まるでうまくいきません。
という現象に似ているかも知れないと思います。

また、命令では、人は100%の力を発揮しません。
「余計なこと考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!」
という言葉で、やる気と情熱がかき立てられるような人は、よほどのM体質だと思います。

仕事のモチベーションに関して、3人のレンガ職人というたとえ話があります。
レンガを積んでいる人に、何をしているの?と尋ねたら
1人目:見ての通り、レンガを積んでいる。もっと楽な仕事がしたいよ。
2人目:壁を作っている。この仕事のおかげで家族が食べていける。
3人目:図書館を作ってる。多くの人がここで沢山学ぶんだ。
と答えた、という話です。
「なぜやるのか」「なんのためにやるのか」がわからないと、仕事のモチベーションが上がらないよ、という話だと思います。
だとしたら、
「余計なこと考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!」
なんて言葉では、人の力を引き出すことはできないと思います。

僕は、命令ではなく、「相談」と「お願い」と「感謝」でいいと思っています。
「相談」とは、現状を説明し、問題を解決するために、お互いで方法を考える事だと思います。
「お願い」とは、その上で、自分にはできないことを、助けてもらえるように頼むことだと思います。
「感謝」とは、助けてくれた相手に対して、まともな人間なら自動的にすることだと思います。

それに対して、
現状もなにも説明せず、命令だけして、感謝もしない。
では、まもなく誰も助けてくれなくなるでしょう。

僕は、僕の能力が高くないことを知っています。というか、ひとりでできることは、なんぼ頑張っても1人分でしかありません。
無理して徹夜とかしたら、瞬間的には仕事量は増えるけど、翌日の思考力は半分以下になり、間違った判断をして、逆に仕事を増やしてしまうことを、僕は知っています。

だから、僕は、助けを求めます。
だから僕は、僕の会社で働いてくれる人達を、「社員」「従業員」とよばないです。
僕の「仲間」です。「仲間」には、命令しないでしょう。
「仲間」は互いに尊重し合うべきです。

でも残念ながら、日本では、学校でも、
「命令の仕方」「命令への従い方」をたたき込まれます。
先輩や先生の言うことは絶対。
命令にはしたがうもの。
校則も絶対。疑問など感じる方がおかしい。
を、本気で教える先生がいます。
それは、命令をするものにとっては、都合のよい仕組みです。
でも、それでは、人は力を発揮できません。
それが、単位労働時間あたりのGDPの低さの原因かも。

あの軍人勅諭のなかにさえ、上級のものは、下級のものを軽んじたり、侮ったりしてはいけない。務めて懇ろに取り扱い、慈しみかわいがり、上下一致して事に当たるべし。と書かれています。
(これに関しては、1940年に製作された、西住戦車隊長伝という映画がおもしろいです。
ひたすら部下を大切にしちゃう西住隊長。今の目で見ても、甘すぎるのでは?と思えるほど。
そういう映画が、太平洋戦争直前に、軍の協力のもとで作られたことに驚きを感じますが、いろんな人の本を読むと、日本が戦争に負けはじめてから、やたらに怒鳴り殴る教官が増えたそうです。おそらく、戦争末期、徴兵された若い人達は、そういう無茶な教官にであってしまい、そして、戦争に出る前に戦争が終わって、生き延びた人達が、その間違った教育を、社会に復帰してからも使ってしまったのだろうなあ、と僕は思います。)

僕は、「余計なこと考えないで、言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!」には
断固抵抗します。
僕は、人間として、仲間を尊重します。
 
相談と、お願いと、感謝で、人はすごい力を発揮できることを、僕は知っています。